こんにちわ、まことです。
アスペの人は、コミュニケーションの特性上、周りの人に
「あの人は何回言っても分からない」と思われてしまいます。
僕もそれが多く、理由を考えたときに、これは、という理由が浮かんだので、
ちょっと書いてみようと思います。
まず、僕も会社では「この子は何回言っても分からない」と思われてます。
その時に言われた、その時の状況のみならば、
次はこれこれをしてはいけないということは分かるのだけれど、
それが別の内容になったり、別の状況になったら、
定型発達の人からすれば、あの時こうだったらこうだな、と応用はできても、
アスペの人からすれば、そういう細かな違いでさえも、大きな違いと捉えてしまい、
あの時あんなふうに言われたけど、今回はどうなんだろう、
でも、ここがこう違うから、やっぱりこのほうがいいんだろうな、という
アスペの人にとっては実に論理的な思考から、本来は不適切な言動になってしまいます。
これは、同じことを何度も続けることなら、定型発達の人よりも、
ミスなくできる、ということにもつながると思います。
逆にいえば、ちょっとした違いにも戸惑ってしまい、そこで時間をとられてしまったり、
感覚的にこうかな、と思えず、論理的に考えすぎるあまり逆に不適切になってしまうんです。
そういう状況なのに、
「どうして前あんなふうに言ったのに、こんなふうに行動するの」と責められると、
やはり論理的に自分がそのように行動した理由を説明し、
余計に「理屈っぽくてありゃしない」となってしまうのです。
はい。ここまで分析できてるのに、自分自身がこのことで躓きまくってるのが、
ほんとにネタレベルにどうかしてるなと思うのですが、まぁ仕方ありません。
アスペの人は、コミュニケーションの特性上、周りの人に
「あの人は何回言っても分からない」と思われてしまいます。
僕もそれが多く、理由を考えたときに、これは、という理由が浮かんだので、
ちょっと書いてみようと思います。
まず、僕も会社では「この子は何回言っても分からない」と思われてます。
その時に言われた、その時の状況のみならば、
次はこれこれをしてはいけないということは分かるのだけれど、
それが別の内容になったり、別の状況になったら、
定型発達の人からすれば、あの時こうだったらこうだな、と応用はできても、
アスペの人からすれば、そういう細かな違いでさえも、大きな違いと捉えてしまい、
あの時あんなふうに言われたけど、今回はどうなんだろう、
でも、ここがこう違うから、やっぱりこのほうがいいんだろうな、という
アスペの人にとっては実に論理的な思考から、本来は不適切な言動になってしまいます。
これは、同じことを何度も続けることなら、定型発達の人よりも、
ミスなくできる、ということにもつながると思います。
逆にいえば、ちょっとした違いにも戸惑ってしまい、そこで時間をとられてしまったり、
感覚的にこうかな、と思えず、論理的に考えすぎるあまり逆に不適切になってしまうんです。
そういう状況なのに、
「どうして前あんなふうに言ったのに、こんなふうに行動するの」と責められると、
やはり論理的に自分がそのように行動した理由を説明し、
余計に「理屈っぽくてありゃしない」となってしまうのです。
はい。ここまで分析できてるのに、自分自身がこのことで躓きまくってるのが、
ほんとにネタレベルにどうかしてるなと思うのですが、まぁ仕方ありません。