こんにちわ、まことです。
先日、読者さんから非常に興味深いメッセージをいただきました。
非公開にしておくには、あまりにももったいないメッセージだったので、
個人が特定されない範囲内で、簡単にメッセージを要約したいと思います。
その読者さんのメッセージを要約すると、
「ボーダーライン付近の、ごく軽度の発達障害の人が確定診断を受けると、
自分は障害者だという思いが高まり、その特性が診断を受ける前より強くなることがある」
ということだそうです。
僕はこれを読んで、そういう考え方もあるのかと、すごく納得しました。
診断を受ける
↓
自己理解につながり、生きづらさが解消される
という流れが、一般的によく言われていることですが、
診断を受ける
↓
本来なら個性に収まっている特性でさえも、障害だという固定観念にとらわれて、
余計にその特性が強くなって、生きづらさが高まってしまう
という流れも、同じくらい起こるんじゃないかと感じました。
僕はこれまでのブログで、基本的には
「確定診断は受けられるなら受けるべき」というスタンスをとっていました。
でも、生活に支障を感じてない人なら、確定診断を受けるべきではないのかもしれません。
もしそこで受けてしまったら、逆に特性が強くなって、新たな支障がでてしまう恐れがあるからです。
ケースバイケースといってしまえばそれまでなんですけど、
診断の意味は、やはりその人の生きづらさを解消することだと思うので、
生きづらさそのものがないんだったら、診断を受ける意味はないんじゃないかと。
でも、学生時代はそれほど生きづらさがなくても、
社会人になってから急に生きづらくなってしまう人が、
定型発達、発達障害関係なくたくさんいるように、そういった時には、
生きづらさを解消するために、診断を求める、という方法もあるのかもしれません。
とにかく、診断を受けている、受けていないにかかわらず、
自分はアスペだーとかいう思考ばっかりにとらわれたら、
余計にアスペらしさが濃くなって、しなくていい苦労をすることになる可能性があります。
シングルフォーカスに陥りやすいアスペさんも多いでしょうが、
あんまり気にしすぎないことも大切なんではないでしょうか。
先日、読者さんから非常に興味深いメッセージをいただきました。
非公開にしておくには、あまりにももったいないメッセージだったので、
個人が特定されない範囲内で、簡単にメッセージを要約したいと思います。
その読者さんのメッセージを要約すると、
「ボーダーライン付近の、ごく軽度の発達障害の人が確定診断を受けると、
自分は障害者だという思いが高まり、その特性が診断を受ける前より強くなることがある」
ということだそうです。
僕はこれを読んで、そういう考え方もあるのかと、すごく納得しました。
診断を受ける
↓
自己理解につながり、生きづらさが解消される
という流れが、一般的によく言われていることですが、
診断を受ける
↓
本来なら個性に収まっている特性でさえも、障害だという固定観念にとらわれて、
余計にその特性が強くなって、生きづらさが高まってしまう
という流れも、同じくらい起こるんじゃないかと感じました。
僕はこれまでのブログで、基本的には
「確定診断は受けられるなら受けるべき」というスタンスをとっていました。
でも、生活に支障を感じてない人なら、確定診断を受けるべきではないのかもしれません。
もしそこで受けてしまったら、逆に特性が強くなって、新たな支障がでてしまう恐れがあるからです。
ケースバイケースといってしまえばそれまでなんですけど、
診断の意味は、やはりその人の生きづらさを解消することだと思うので、
生きづらさそのものがないんだったら、診断を受ける意味はないんじゃないかと。
でも、学生時代はそれほど生きづらさがなくても、
社会人になってから急に生きづらくなってしまう人が、
定型発達、発達障害関係なくたくさんいるように、そういった時には、
生きづらさを解消するために、診断を求める、という方法もあるのかもしれません。
とにかく、診断を受けている、受けていないにかかわらず、
自分はアスペだーとかいう思考ばっかりにとらわれたら、
余計にアスペらしさが濃くなって、しなくていい苦労をすることになる可能性があります。
シングルフォーカスに陥りやすいアスペさんも多いでしょうが、
あんまり気にしすぎないことも大切なんではないでしょうか。
コメント
コメント一覧 (2)
ただ、診断を受ける状況って言うのは、自身が困っている場合が多いのではないでしょうかね。
よく聞くのは、発達障害というのは、適応障害と合わさって初めて障害となるという話です。
適応障害が出ない状況なら(今の主の状態かな)ただたんに、発達が凸凹した人だけで診断を受ける必要はないですね。むしろマイナスになる可能性もあります。
しかし、ほとんどの発達障害者はそうした状況にはなく、職場に適応できなくて鬱・適応障害になってから初めて分かるって人が多いと思います。そういう人たちにとっては発達障害と分かってマイナスになるってことはないと思います。現在では職業訓練校に行けたり、障害者枠で応募できたり、生活支援センターを利用できたりと様々な配慮を受けることができ、そういう人たちは発達障害という立場を積極的に利用してもらいたいです。
主も今の職場で順調にいくのが一番ですけど、もししんどくなってきたら障害者としての権利をどんどん利用してください。
「発達障害というのは、適応障害と合わさって初めて障害となる」
確かにそうですね。
診断を受けることで得られる支援というものもありますし、
病院によっては、本人が困ってないなら特性があっても診断しない、ということもありますし。
とにかく、診断されることで自分の可能性を狭めるというよりかは、
むしろ「ここなら自分らしく生きられる」というふうに、可能性を広める、という考えを
大切にしていけばいいんじゃないかと思います。
僕がお医者さんに言われたのは、
「あなたの場合は、人柄でカバーできてる部分がある」ということでした。
できないことがあっても、人とは色々と違っていも、それ以外の人柄が
「まぁ仕方ないか」と許してもらえる良い要因になってる、ということらしいです。
4月から本格的に社会人として働くことになりますが、
できないことがあっても、人柄でカバーできるようにしていきたいです。