新社会人を目指すアスペルガーのブログ

大学4年の時にアスペルガー(今でいう自閉症スペクトラム)と診断され、今は社会人8年目です。社会で辛い思いをしている発達障がいの方に、「悩んでるのは自分だけじゃないんだ」と安心してもらえるようなブログを目指して始めました。先日社会福祉士国家試験に合格し、発達障がいのある方も対象にした就労支援に携わることになりました。

カテゴリ:アスペルガーの特性 > 暗黙のルールが分からない

こんにちわ、まことです。

最近、自分がただの自己中なのかわからなくなってきました。
そこで考えてみました。

で、得た結論が、あくまで僕の場合は、

「その言動が自己中だと何となく分かっていながらも、暗黙のルールにしたがって
 空気を読んだ行動をするよりも、マイルールに忠実に行動している」

という面もあるんじゃないかということです。

ここでは、「何となく分かっていながらも」というのがポイントです。

何となくしか分かってないので、結局はマイルールが大切になってしまうのです。
周りに合わせて行動することの重要性を認識していないというか。

たとえば、職場で言われなくてもみんながやっていることに対して、
それじゃなくても別の方法で十分だと判断すれば、

僕はそのマイルール(マイ方法?笑)に従って行動してしまいます。

別に迷惑をかけようというふうに思っているんじゃなくて、
その場で通常とされている方法が、僕にとっては通常ではない、

かつその方法に従えば、余計に周りに迷惑がかかると判断すれば、
僕は迷わず、自分にとって通常な方法を選び、周りに迷惑をかけないようにします。

それが自己中なのかどうかは本当に区別できてないものの、
何となく、周りに逆らっているような感じを自覚しているのも事実です。

具体例がないので分かりにくくて、すみません。
とにかく、周りに逆らわずに周りに合わせれば、余計に迷惑をかけてしまうのです。

そうなるくらいなら、自分流に行動して、自分も周りもある程度ハッピー、
せめてアンハッピーにはならない、というほうがいいような気がするのです。

アスペさんは、決して空気を読んでない、というわけではありません。
ただ、その空気の読み方が少し独特なんだと思います。

もしあなたの身近にアスペさんがいて、
その人がなんでそんな行動をするのか疑問に思えば、聞いてみてください。

あくまで僕の場合ですが、基本的に自分の行動に関しては、
ある程度理由が備わっているつもりです。

その理由はもしかしたら暗黙のルールとは合ってないかもしれませんが、
ただ適当に、周りを無視して行動しているんじゃないのだと、分かってもらえるかもしれません。

こんにちわ、まことです。

世の中には社交辞令というものがあります。
アスペさんにとっては、意味のわからないものですね。

例えば「今度飲みにいきましょうね」なんて、社交辞令の典型です。

本当は飲みにいくつもりなんてない、もしくは2度と会うこともない相手なのに、
なぜか「今度飲みにいきましょうね」という人がたくさんいます。

僕のバイト先にもそういう学生さんが一人いて、
何回も「今度ご飯食べましょう」「今度どこかに遊びにいきましょう」と言うのに、

それが実現されたことは一度もありません。

基本的にはいい人なのに、そういう社交辞令を頻繁に使うので、
なんだかその人の言うことは全て嘘で固められているんじゃないかと疑ってしまいます。

社交辞令とはよく分からないものです。
どうして嘘を言ってまで、相手との関係性を保とうとするんでしょうか。。。

もちろん暗黙の了解のうえで、
「今度飲みにいこうね」「今度ご飯いっしょに食べようね」というのは、

ほぼ9割がた実現することはない約束ということを僕は分かっていますが、
この人は社交辞令で言ってるのか、それとも本気で言ってるのか、
ということの区別がいまだにつけることが難しいです。

なので、基本的には「今度飲みにいきましょう」と言われたその瞬間、
日時を決めるということがない限りは、社交辞令だと判断するようにしてます。

それでも、「今度飲みにいきましょう」と言われるのに日時を決めないというのは、
なんだかちょっと裏切られたような気分になってしまうんです。

定型発達の人は、こういう社交辞令を当たり前のように使ってますが、
僕からすれば、「今度飲みにいきましょう」という社交辞令を使われた時には、

なんだか嘘をつかれたような、ちょっと悲しい気持ちになってしまいます。

アスペさんにとって、おそらく社交辞令というのは、嘘を言うこととほぼ変わりはないです。
なので、アスペさんは社交辞令を言うことはあまりないでしょう。

だからこそ、本音というよりも、その場の雰囲気に合わせた会話が行われることが多い、
3人以上の会話になると、とたんに話すのが難しく感じてしまうんだと思います。

こんにちわ、まことです。

アスペの三大特徴の一つに、社会性の欠如というものがありますが、
この例として、人間関係における自分の立場を理解しにくいというのがあると思います。

アスペと診断される前までは特に意識してなかったのですが、
バイト先で、僕は後輩が先輩に仕事について質問しているのを見たことはありますが、
先輩が後輩に質問しているのを見たことは、全くといっていいほどありませんでした。

一方で僕はというと、仕事中に初めて遭遇した事態や、分からないことなどは、
先輩や後輩にかかわらず、その場にいる人に質問します。

確かに、後輩より先輩のほうが仕事については理解度が高いことは明らかですが、
僕は仮にその場において、自分が一番先輩だったとしても、
特に抵抗感を感じることなく、後輩に分からないことは質問します。

分からないことは、分かる人に教えてもらう、という考えのもとで
説明すれば、そこに先輩や後輩などといった立場というものは存在しないからです。

ですが、何となく、こんなことをしてるのは僕くらいだなという自覚はありました。
こういう行動は控えたほうがいいのだろうかと、考えたこともありました。

そして色々と調べているうちに、職場の先輩後輩関係について理解できない
というのは、アスペの特徴であるということがわかりました。

大学4年生の先輩(僕)が、高校生に、仕事での疑問点を相談するという状況を、
高校生の後輩は一体どう考えているのか気になるところですね笑

僕としては、先輩だからといって強がって、後輩には失態を見せようとしない先輩よりも、
素直に分からないことを後輩の僕に聞いてくる先輩のほうが、
信頼できるなーと思うんですけれど。。。

自分で判断しろとはいいませんが、初めてのことを自分一人で判断するほうが、
職場ではむしろミスや失敗につながっちゃうんじゃないかと思うんですが。。。

やっぱりこういう考えは、社会では通用しないんでしょうか、、、?

こんにちわ、まことです。

アスペについて色々調べていくうちに、目の前の相手の発言に対する反応が、
定型発達の一般的な回答と、アスペ的な回答とでだいぶ異なることを知り、
あらためて自分が社会の暗黙のルールを分かっていないということを実感しました。

例えば「今回のテスト難しかったよね」と友達が言うとき、
僕は本当に難しいと思ったら、「難しかったよね~」と言いますが、
簡単だったと思ったら、「え、そう?簡単だったと思うよ」と言います。

でも定型発達の反応は、自分の感想を述べるよりも、相手への共感を優先させるそうです。
つまりは、相手が「テスト難しかったよね」といえば、
自分がそのテストを簡単と思うか難しいと思うかにかかわらず、
「そうだよね~難しかったよね~」と、共感をにおわせる回答をするそうです。

ようは、アスペの僕は、自分の視点からしかものを言えないということですね。
自分の視点と相手の視点があっていれば、うまく会話がかみあいますが、
そうじゃない場合は、相手の視点にあわせて会話をすることが難しいので、
会話がかみあわない、ということになってしまうのでしょう。

今思い返すと、僕の会話方式は、基本的に常に「相手の気持ちへの共感」よりも
「自分の気持ちを相手に伝える」ことを優先しているようです。
それは、わざとやっているんじゃなくて、その時は無意識的にそれしかできない。
このようにブログで書くことで、初めて過去の自分の発言の不適切さに気付く。

やっかいなものですね。

この特性は、アスペである自分自身よりも、周囲の人への負担になってしまうのでしょう。
そして、この特性を受け入れてくれる定型発達の人とはどうにか上手くいきますが、
受け入れられない(自己中な人が嫌い)人は、僕のような人とは合いにくいのではないかと。

日本は全体の和を重んじる国ですから、この特性は特に問題化されやすいところだと思います。

このページのトップヘ