新社会人を目指すアスペルガーのブログ

大学4年の時にアスペルガー(今でいう自閉症スペクトラム)と診断され、今は社会人8年目です。社会で辛い思いをしている発達障がいの方に、「悩んでるのは自分だけじゃないんだ」と安心してもらえるようなブログを目指して始めました。先日社会福祉士国家試験に合格し、発達障がいのある方も対象にした就労支援に携わることになりました。

カテゴリ:アスペルガーの色々 > 思うこと

こんにちわ、まことです。

これからしばらく、何があったってポジティブな記事を書く、シリーズを
やってみたいと思います笑

仕事で悩んでいることや辛いことをブログで書くことによって、
ストレス発散になったり、読者の方からアドバイスをいただけるのはとてもいいのですが、

やっぱりそれだけじゃ、気分の落ち込みは変わらないと思ったんです。

だから、仕事で何か辛いことがあったとしても、
ポジティブな、明るい話題の記事を書くようにしたいと考えたんです。

そのほうが、このブログを読んでくださっている方が落ち込んでいても、
ま、これくらいどーでもいっかーって、気楽な気持ちになれるんじゃないかなーって。

今日はその第一弾。

アスペルガーって、100人に1人です。知ってる方も多いですよね。
これを、どういう風にとらえるのか。今日はそれがテーマです。

あーあ、100人に1人なのに、なんで自分が選ばれちゃったんだろう。
そんなネガティブな思考になったことはありませんか?

僕もあります。でも、こう思うんです。

100人に1人の逸材!?え、すごくない?
他の99人には無いものを、自分は持っている!そんなそこらのつまらない人間じゃないんだ。

神様を信じるんだったら、神様に選ばれし者。
自分じゃないと、アスペキャラとして楽しく生きるのは難しい。だから、自分が選ばれた。

物は考えようです。

100人に1人に選ばれたのは、強運の持ち主だったからなのです。
あとは、その運を自分がどうやってつなぎとめるか。人生の運試しは、これからなのです。

こんにちわ、まことです。

人間の価値は、仕事だけで評価されるものじゃありません。
だから、仕事ができない人=ダメ人間ではありません。

これほど、簡単な公式はないでしょう。
しかし、社会にでると、仕事ができないと、自分はダメ人間だと思ってしまいます。

なぜなら、仕事ができないと、周りの人に怒られたり、
自分のことを情けなく思うからです。しかもそれがほぼ毎日。

その会社、その環境、その仕事に自分が合っていないだけで、
他の会社や仕事ならうまくいくかもしれないのに、

まるで、この世界すべてにおいて、自分はダメ人間であるかのような勘違いをしてしまう。

僕自身も、同じような状況に陥りつつありました。
しかし、考え方を変えるきっかけがあって、なんだか気分が晴れやかになりました。

アスペの人や発達障害の人は、自己肯定感が低い人が多いと思います。
でも、自分のことを認めてくれる人は、必ずいます。

と、いうことを、自分が落ち込んだときに自分自身を励ます意味をこめて、
記事にしたいと思います。

こんにちわ、まことです。

長らく、ちゃんとした記事が書けずにいました。
というのも、実は卒業旅行に行ってたんですね。

ほんの数日間だけでしたが、行きたいところに行けてよかったです。

で、今日のテーマですが。
僕は、自分に自信がありません。

それはおそらく、集団の中での度重なる失敗経験から構築されたものだと思います。

皆が簡単にできていることなのに、自分だけができなかったり、
といった経験は幼いころから、数えきれないくらいありました。

そういった環境的な影響は、自分が想像している以上に大きくて、
今もなお、自分に自信がないので、「自分なんかにできるのかな」という思考が先立つこともあります。

アスペの人って、ある程度「自分は周囲と違う」という自覚がある人は、
多かれ少なかれ、周囲との差異を感じながら育ってきたと思います。

そして、その差異に対して、何らかのコンプレックスを抱いている人は、
自分に対する自信がなくなっていくんじゃないかと感じます。

で、別にいいや、って思ってしまうんです。
現状を打破しようという意欲が、薄くなってしまうんです。

それがいけないということは何となくわかっているんだけれども、
自分に自信がないから、今のままでいいやってなってしまう。

周りをみていると、自分に自信がある人は、生き生きしているように見えます。
言動一つ一つに、パワーがある。

一方で僕の場合、極端なことが多いです。

生き生きしすぎて、思いのままに行動するあまり、
「あなたみたいな変な人、見たことない」って言われることもあるし、

無気力すぎて、「何この暗い人、変だな」って思われてるであろうこともあるし笑

感情に、すごく波があるんですよねー。
実は発達障害の検査を受けたときも、躁鬱の傾向があるのかもねーって言われたんです。

ちなみに、行ったことのある2つの病院のうち、
「発達障害ではない」と診断されたほうの病院で、そう指摘されました。

(僕は一方の病院で「アスペ」と診断され、別の病院では「違う」と言われてるので、
 こういうややこしいことが起こってしまうのです)

これについても、また別の記事で書こうと思います。

とにかく、僕は何となく、「ほかの人と比べて、言動に一貫性がない」ということは分かってます。
一貫性がないので、余計に周りの人からすれば、「何だかわからない人」になってしまうのです。

なんだか、本題からどんどんそれていってる気がしますが笑

今日は疲れたので、こんな文章でご勘弁ください。

こんにちわ、まことです。

先日、読者さんから非常に興味深いメッセージをいただきました。

非公開にしておくには、あまりにももったいないメッセージだったので、
個人が特定されない範囲内で、簡単にメッセージを要約したいと思います。

その読者さんのメッセージを要約すると、

「ボーダーライン付近の、ごく軽度の発達障害の人が確定診断を受けると、
自分は障害者だという思いが高まり、その特性が診断を受ける前より強くなることがある」

ということだそうです。

僕はこれを読んで、そういう考え方もあるのかと、すごく納得しました。

診断を受ける

自己理解につながり、生きづらさが解消される

という流れが、一般的によく言われていることですが、

診断を受ける

本来なら個性に収まっている特性でさえも、障害だという固定観念にとらわれて、
余計にその特性が強くなって、生きづらさが高まってしまう

という流れも、同じくらい起こるんじゃないかと感じました。

僕はこれまでのブログで、基本的には
「確定診断は受けられるなら受けるべき」というスタンスをとっていました。

でも、生活に支障を感じてない人なら、確定診断を受けるべきではないのかもしれません。
もしそこで受けてしまったら、逆に特性が強くなって、新たな支障がでてしまう恐れがあるからです。

ケースバイケースといってしまえばそれまでなんですけど、
診断の意味は、やはりその人の生きづらさを解消することだと思うので、

生きづらさそのものがないんだったら、診断を受ける意味はないんじゃないかと。

でも、学生時代はそれほど生きづらさがなくても、
社会人になってから急に生きづらくなってしまう人が、

定型発達、発達障害関係なくたくさんいるように、そういった時には、
生きづらさを解消するために、診断を求める、という方法もあるのかもしれません。

とにかく、診断を受けている、受けていないにかかわらず、
自分はアスペだーとかいう思考ばっかりにとらわれたら、

余計にアスペらしさが濃くなって、しなくていい苦労をすることになる可能性があります。

シングルフォーカスに陥りやすいアスペさんも多いでしょうが、
あんまり気にしすぎないことも大切なんではないでしょうか。

こんにちわ、まことです。

さこっつさんという読者の方から、
まことさんにとって、「普通」とは何ですか?という質問をコメント欄でいただきました。

これって、すっごく興味深いテーマだと思うので、
コメント欄だけで終わらせてはいけないような気がして、こうして記事にしました。

僕とさこっつさんのやりとりをコピペしたものが、以下です。

さこっつさん

最近「ふつう」とか「定型」のようなキーワードが多いですが、
まことさんの考えるふつうの人ってどんなイメージですか?



とりあえず結論だけ書くとすれば、この世は変人の集まり、普通の人なんて存在しません。
なので、普通という言葉自体が、空想上のもの、とでもいっておきましょうか。

それこそ、すべてが普通の人、平均的な人が存在するとすれば、
その人がこの世で一番の変人なんじゃないでしょうか

さこっつさん

確かにすべてが平均的な人って想像がつかないですね。
でも「普通の人」は意外と結構多いのかもしれません。

「平均」という概念は普遍的ですが、「普通」という概念の中身が人間が作っているものなので、
「普通」≠「平均」なんですよね。「普通」はあくまで多数派というだけで。

世の中ちょうど平均ぐらいが生きやすいのかも。
アスペさんは「ふつう」へのこだわりも強いですから、真剣に考えてしまいますけど。

難しい話ですみませんね。



例えばですが、考えてもみてください。
この世界には、60億人以上の人(正確な数字は忘れました笑)が住んでるんですよ?

正直、世界からみれば、雨風しのげてネットもできて、って人は普通じゃないです。
そう考えてみれば、僕たちが普通に思ってることって、案外普通じゃないんです。

自分たちがほんとに多数派かだなんて、こうやって広い視野で見ない限りわからないし、
普段はそんな広い視野を意識しないから、結局周囲の人間と比べたり、

がんばっても日本という国の中だけでしか、自分が普通かどうか、他人が
普通かどうか(多数派かどうか)を判断することはできません。

でもそれは正確じゃないです。

あと、個人的に普通でいることほど、損する人生はないと思ってます笑

僕は、普通であることに憧れることもありますが、普通の人に完全に
生まれ変わりたいと思いたいかと聞かれれば、いいえと答えたいです。

普通ではない人だと、僕の経験上、一部の人には非常に支持されます。

ただ、支持される割合がすごく少ないので、なかなかそのことに気づきにくいです。
10人中8人に拒絶されても、あとの2人に100点もらえればいいんじゃないかって思います。

皆さんにとって、「普通」って何ですか?

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