新社会人を目指すアスペルガーのブログ

大学4年の時にアスペルガー(今でいう自閉症スペクトラム)と診断され、今は社会人8年目です。社会で辛い思いをしている発達障がいの方に、「悩んでるのは自分だけじゃないんだ」と安心してもらえるようなブログを目指して始めました。先日社会福祉士国家試験に合格し、発達障がいのある方も対象にした就労支援に携わることになりました。

カテゴリ:アスペルガーの特性 > 「変わってる」と言われる

こんにちわ、まことです。

僕はよく、服を表裏や前後を間違えて着てしまいます。
実はこれも、発達障害の特徴の一つです。

たとえばパッとした見た目ではわからない無地のシャツや、
表裏ではあまり柄の変わらない服などを、

よく確認もしないで着ていると、
母親に「またそれ表裏逆に着てるよ」と指摘されてしまいます。

個人的には、指摘されるまでまったく気づかないので、
指摘されたところで特に着なおそうとするつもりもあまりないのですが、

そのままでいればまた母親にいろいろ言われてしまうので笑、
仕方なくもう一度きちんと着なおす、という感じです。

間違えて着ているのに気付かないまま外に出て、
帰ってきたあとに間違いを指摘されたこともありますね笑

あと、靴下の左右を間違えることは本当によくあります。

見た目じゃわからないじゃないですか、これ(定型発達さんにはわかるのかなー。。。?)
だから、とりあえず履いてみるんです。

で、その時になんとなく左右が違うような気もするんですが、
別にどうでもいいというか、左右が違っているとわかったまま履き続けています。

服の表裏や前後、靴下の左右が見てすぐにわからないのは、
もしかしてWAISの絵画完成が4点だったところからきてるのかもなーなんて勝手に思ってます。

定型発達さんでもこういう間違いをすることはあるかもしれませんが、

間違いに気づいたら履きなおしたり着なおしたりするのが定型発達さんで、
間違いに気づいてもそのままで平気なのが発達障害さんなのかな?なんて考えたり。

ようは無頓着なんですよね。
でも、こだわるとこにはすごいこだわる。

こういうところが、アスペさんが変わってるといわれる要因の一つなんでしょう。

こんにちわ、まことです。

「変わってるね」
アスペの人ならおそらく確実に言われたことがあるでしょう。
というか、そういう風に変人扱いされる人生だったんじゃないでしょうか。

あとは、「おもしろい人だね」とかも言われるんじゃないでしょうか。
「今まであなたみたいな人に会ったことがない」とまで言われることも笑

友達からには、「まことはそのままでいいんだからね」という
アドバイスをもらうこともよくあります。どういう風に捉えていいのやら笑

僕自身は、「変わってる」と言われることに誇りを持っていますが、
なるべく普通でいたい人にとっては、この言葉は辛いものなのかもしれません。

ところで、アスペさんが変わってると言われるのはどうしてなんでしょうか。

まず当たり前ですが、アスペさんは根底として
「大多数の人と考え方や価値観が違う」というのがあるからだと考えられます。

「普通」って何だ、という話になれば結論がつきませんが、
アスペルガーの人が世間でいう「普通の人」にあたる可能性はほぼゼロだと思うんです。

それはやっぱり、脳の性質上、人間として当たり前の部分が
ちょっとズレてしまってたり、そのぶん別の部分が発達してしまってたり。
だからこそ面白いと僕は思ってるんですが、それゆえ生きづらさを感じることもしばしば。

あと、アスペさんは基本的に「周囲に合わせよう」という価値観をあまり
持ち合わせていない人間だともいえると思います。
なので、周囲と同じことをやってないので、「変わってる」と言われるんじゃないでしょうか。

自分のこだわりに忠実に。
純粋すぎるがゆえに、自分の思いをストレートに表現してしまう。

それもこれも、相手の視点でものを見るのが難しいから。
相手から自分がどういう風に思われるか。

そういうことにあまり興味もないうえに、何をすれば相手からどのように思われるか、
ということも分かっていない部分もあります。

そういう理由で、やっぱり周囲とはだいぶかけ離れた存在となることもあります。

というか、アスペさんは無理に周囲に合わせないほうがいいと思います。
もちろん、アスペだからって何でも好き勝手やればいいってもんじゃないし、
気づける範囲である程度相手に気を使うべきなのは当然です。

ただ、その気づける範囲というのが元々極端に狭いので、
どうせ周りに合わせようとしたって難しいし、
「出る杭はうたれる」じゃなくて「出すぎた杭はうたれない」くらいに思ってたらいいんじゃないでしょうか。

もちろん、周囲と違うということで苦労することもあると思います。
しかし、周りに合わせようとすることで、もっと自分にストレスがかかるくらいなら、
ありのままの自分を受け入れてくれる環境を長い目で探したほうがいいんじゃないでしょうか。

甘いんですかねーやっぱりこんな考えは。
分かりませんが、でも「変わってる」って、「普通」であることの何倍も素敵なことだと思いますよ。
ただ、何倍も素敵だからこそ、普通の人の何倍も苦労する場面もある、ということなんです。

こんにちわ、まことです。

アスペの人は、普通の人が興味を持つことに興味を持たないです。

例えば僕は、生まれて21年間一度も、マンガを買ったことがありません。

周りの同年齢の子供たち(学校のクラスメイトとか)が、
マンガとかの話で盛り上がっているのを聞きながら、

「何がおもしろいんだろ。。。」と思ってました。
「皆が興味のあることに、僕は興味がない。。。」と気付いていました。

中学生になれば、クラスメイトが校則で持ち込みを禁止されているマンガを持ってきて、
先生がいないときにこっそり読んでいたり、というのはよくありました。

それに群がっている子たちを見て、僕はただただ無言で見つめるのみ笑
そこに混じったとしても、楽しめる自信がなかったからです。

友達と下校しているときに、「まことも読む?」と言われて読んでみたものの、
「文章が短いから話が分かりにくいし、皆みたいに速く読めないし、おもしろくない。。。」
と心の底では思ってました。

というか、「あんまりおもしろくない」と口に出してた記憶もあります笑

小説は好きだったんですけどねー。

ところで話の流れが読みにくい子供というのが最近増えているらしく、
その子はマンガを読んでも絵だけでは話が理解できず、マンガが読めないらしいです。

僕もその気があるのかな?と思います。

例えば僕のWAISの絵画配列は、7でした。
平均が10なので、やっぱり僕の頭はセリフのない絵とかでは状況を理解しにくいのかな、と。

まぁ、マンガ以外にも、野球とかサッカーとか、男の子が興味のあるスポーツについては、
全くの無知でしたし、今でもどこのチームのファンとか、そんなのないです。

ある意味周りに流されないという点では、アスペの人は、
自分に正直に生きることができるとは思うのですが、

一般の人と話が合いにくい部分があるのかな、と感じます。

しかもそこに対して、普通の人は、
流行を知って皆と話ができるようになろう、みたいな努力をするんでしょうが、

僕みたいな人は、別に話が合わない人とは合わなくてもいいや、と思い、
わざわざ自分の興味のないことまで知識を広げよう、なんて意識のかけらもないです。

まー、僕は別にそれでいいと思ってるんですけどね!笑 むしろ僕の長所だと考えてます。

こんにちわ、まことです。

アスペの人は、興味の幅が狭いです。
そしてその狭い興味対象は、普通の人が関心を持たないような方向に向くことが多いです。

つまり、
・普通の人が興味を持っていることに関心が全くない
・普通の人がどうでもいいようなことにこだわる

こんな感じですね。

僕は自分が興味のあること以外、知ろうとしないので、
普通の人が知っているようなことを知らないことがよくあります。

例えば、ファッションブランド。
ユニクロ、、、んー、ユニクロ以外何がありましたっけ。

スーツの青山? 

んー、もうちょっと私服的なやつで。んー。。。

と、ファッションというものに関心がゼロの僕は、
ブランド名とかを本当に全然知りません。

あ、ちなみにユニクロは知ってますが、ユニクロには全く行きません。

この前受けたWAISの知識問題では、「あーこれ、知らないと馬鹿にされるな」というくらいの
問題で、珍回答を出してしまいました。
具体的には、たぶん2番目の問題だったような。

普通後半の問題ほど難しいですから、2番目はよほど簡単だと思われます。

他には、QRコードの使い方を、最近まで知りませんでした。
「これ知らない若者もいるんだねー」とおばちゃんに言われました。

大学生の間では流通しているLINEも、いまだにどうやって使ったらいいのか
分からないことがよくあります。

ごく稀に連絡先を交換しよう、となっても、どうやって交換したらいいのか、、、と
やり方が分からず、とりあえず相手にお任せしよう、となることが大抵なのです。

まぁ、そもそもLINEをするほど仲のいい人も少ないですし、
新たな人間関係を作る機会もほとんどないですから、困ってるわけじゃないんですけどね。

こんにちわ、まことです。

僕は中学生のころから高校卒業くらいまで、
テストや試験の点数といったものに、ものすごい執着心というか、
こだわりのようなものがありました。

例えば、中間テストや期末テスト終了後は、そのテストが何点だったのかについて、
テストが返される日までひたすら分析してました。

具体的には、
①テストの点数配分を予測し、100点になるように調整する
②全ての問題の正誤を可能な限り調べ上げ、間違った問題を把握
③満点(100点)から、間違った問題の数×その問題の点数をひく
④大まかな点数を予測する

これを、全教科に対して行っていました。
しかも一回点数を予測しただけでは物足りず、
あらゆる可能性(点数配分の別のパターンなど)を予測し続けました。

そして、その学年の全てのテストが終わると、
①それまでのテストの科目ごとの平均点を分析
②自分がどれだけそれぞれの科目が得意かを分析
③上記のグラフをカラーペンと定規を使って作成

なんてことまで行ってました。

こんなわけで、僕にとっては運動会や文化祭なんかよりも、
テスト期間のほうが楽しみでしたね。

でもそんなことを周囲の人に言ったら、「こいつおかしい」と思われるのは分かってたので、
ひっそりとテスト分析については行ってました。

ただ、テストが終わったその日は、仲のいい友達と一緒に下校し、
その子たちと一緒に問題用紙をにらめっこして、この問題の答えはどうだとか、
そういったことを議論しあっていたのを覚えています。

僕はその時に話し合ったことを家に持ち帰り、一人でさらなる分析を試みていました。

こんなことやってた学生は、僕の学年において他にいたんでしょうか。。。

まぁ、こういったこだわりのおかげで、中高と成績はいいほうでしたし、
特にこだわりの強かった英語は、今では大得意になりました。

そういう意味で、こだわりが良い面に働いた例、ともいえるかもしれません。

もちろん、こだわりが強すぎて、クラス内での人間関係をおろそかにしていたことは、
言うまでもなく明らかなことなんですけどね。。。泣

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